父鬼トンネル5000 その6 神谷邸と、現職でも仮差押される謎
以前、ペンキをかけられまくった神谷邸。
父鬼トンネル5000と時を同じくして、隣地の洋食屋を買い取っている。
とは言っても、その土地は既に中坊公平・弁護士の社長就任で、権力側への寝返りとされた住専処理機構=日本債権回収㈱、当時住専と呼ばれた組織を引き継いだ会社から、大阪府中小企業信用保証協会に競売にかけられた後、不動産屋で回されていたややこしい土地だ。
ちなみに大阪府中小企業信用保証協会は、2014年春に大阪市信用保証協会と合併させられ、大阪信用保証協会となっている。
維新よって借りにくくされた経済の失敗例である。
2013年6月4日、神谷繁氏の所有となり、同日付で前の持ち主である転売不動産屋、㈱ダイエーホームがのぞみ信用協会から1560万円借りていた借金を返済し、関西アーバン銀行の根抵当として2220万円が設定されている。
現在どの程度の借金担保となっているのかは不明だが、ダイレクト5000との副題はつけられそうもない。
ここに父鬼トンネル5000が流れ込んでいるならば、それが登記簿によって一目瞭然となると想定していたからだ。
時系列で並べてみる。
2013年度 父鬼トンネル用地買収着手・工事着手
2013年6月4日 神谷隣地購入
2014年12月 神谷氏は晴れて衆議員となる。
2017年4月1日 父鬼トンネル開通。
衆議員でもない浪人が、いくら志獅会の参与として二階看板を振りかざしても、業者が5千万円の大金を、差し出すだろうか?
その業者がヤノではないかと疑う向きもあるだろうから否定しておくが、ヤノやそのファミリー企業名は、大きな銭を動かす1次下請けなどとして父鬼トンネルの工事業者として記録されてはいない。
しかし、神谷氏は、支持者との話の中で、自分から「5千万円疑惑」を持ち出している。
この辺りは、ゴルフ練習時に吐血し、救急で運ばれながらも、病状が安定しているとして帰宅した直後、再度吐血し、帰らぬ人なった松井秀次(自民)忠岡町議が詳しかったはずだが、訊く機会を失ってしまった。
私も「忠岡町ではなく、松井町と名乗れ!」と何度か役場で言ってきた。
それは松井氏が代表だった松井建設が公共事業を牛耳っているからで、法人登記簿上は息子の妻が代表取締役となってはいるものの、息子が実質の社長となっており、自民支部長を務める息子もまた、松井町の伝統を来春の選挙で引き継ぐのかもしれない。
そうなれば、神谷氏はまた「推薦料いらんかえ~」と天秤棒でもぶら下げて金魚売りのように現れるおそれもあるので、「払う必要はないよ」と先に、息子にはアドバイスしておきたい。
せっかく私宅を調べたのだから、ついでに本宅も見てみよう。
本宅は3筆に分割されて売り出されていたようだ。
神谷氏は、
1996年
3月29日 653-2 127.7㎡
7月30日 653-11 33.06㎡
10月29日 653-3 44.04㎡
として分割購入。
なぜか44平米の狭い土地は、神谷氏の妻・美奈子氏と八尾市明美町1-3-21の小林一雄&サエ氏で3分割されており、サエ(2000年5月5日)、一雄(2006年12月31日)と両氏の死亡に伴い美奈子名義になっている。
旧姓・小林美奈子が相続したとの意味だ。
現在、八尾の住所の表札は「松浦」となっているようだ。
これら3土地とも、2017年12月12日、岸和田地裁によって仮差押されている。
債権者は、大阪信用保証協会なので、ローンが滞ったと行ったところか。
せっかく購入時の大和銀行ローンは、約15年かかって完済したのにねぇ・・・・
3土地は、後に購入し、息子・繁名義にした隣地同様、2013年6月14日に、関西アーバン銀行の2220万円根抵当がつけられているので、その借金が返済できなんだと見える。
だが、この時、神谷氏はすでに衆議員だ。
2012年12月16日に落選後、
2014年12月14日、
2017年10月22日
は当選しているのに、借金倒れということは、選挙でよほど銭をまきまくったとしか見えない。
2015年の政治資金収支報告書を見ても、二階氏から200万円もらったのが生で、他はパーティーや忘年会などを含めると518万4086円の収入となって入るが、催事には320万6千1円かかっているので、繰越は94万7028円しかない。
この金額は、
既にやれなくなってしまった京西且哲(議長)新年会INグランドホールですら、収入153万6千円
170万798円となっているのを見てもわかるように、市会議員レベルでしかない。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/11318/00228540/27ka0382.pdf
京西氏は、議長就任パーティーもやれたのだろうか?
京西後援会の重鎮として重用し続けた上田末男氏が、2015年の脅迫事件で逮捕されると、京西氏自身もその脅迫現場に同席していたことが公になると困ると思い、切ったことで、一気に人集めができなくなった。
政治は義理と人情が大事な世界だと、中山太郎オヤジに教わるどころか、自分の選挙向けに公設第1秘書として名簿コソ泥を行うような京西氏だからこそ、選挙前のこ時期に議長を受けて、たとえ100万円でも報酬を増やし、選挙前にばらまこうとでも画策しているのだろうか?
自分で「俺の票は汚いで!」との言葉を自重ならぬ、自慢として吐く、彼らしい行動だと、名簿泥に包帯グルグル巻の刑の制裁を加えた日田チン(日田孝志・ヤノコーポレーション専務)も、納得していることだろう。
神谷仮差し押さえに話を戻すと、2018年1月9日になって、それらはいずれも取り下げられている。
この銭もどこから調達してきたか、非常に興味深い。
これら、表に見える「政治と銭」についても、神谷氏は、200万円をどの自民議員らからもらいまくったかと共に、白状する場面をつくるべきである。
そのチャンスに、拙ブログがなれば、神谷氏への早めのクリスマスプレゼントにもなろう。
ちなみに隣地は、神谷両親の死後、繁氏から郁画氏に譲渡されるか、売却されるのではないかと私は見ている。
府中病院の整形外科医だった繁氏は、既に生活拠点を東京の新幹線駅ができて便利な地域に、単身で引っ越しているからだ。
上京ではなく、大阪からの都落ちから復活しない限り、大阪の土地など売却などに手間がかかるだけの無用の長物にすぎず、やっと数年前に赤字で売れた洋館だけでも持て余しただろうから。