お忘れかもしれんので、公明がいかに汚い組織かを忘備録として示す。 その2 「密会ビデオ事件」
3. 「密会ビデオ事件」
公明党にとっては、世間から忘却の彼方に去って欲しい事件だろうから、今回はこれだけをテーマとして時系列で書く。
① 70年頃
学会は以前からヤクザを使ってきた。
後藤組は楽器あのボディーガード役を担うと共に、土地に関わる巨大利権にまつわるトラブル処理では、最後まで学会に抵抗した人物に対して、後藤組組員がその自宅にブルドーザーで突っ込み、日本刀で片腕を切り落としたほどである(当時の創価学会の顧問弁護士で、学会と後藤氏を繋ぐパイプ役でもあった山崎正友氏『懺悔の告発』)。
他にも組長であった後藤忠政(本名・忠正)氏の自叙伝『憚(はばか)りながら』では、
「学会は、大本堂を造る時からデタラメなことをしていたんだ。 大本堂を造る際に、市道を勝手に(市の許可なく)潰したり、農地を不正に取得したりしてな」などとある。
しかし、後藤組が介入してもなお、反対運動は鎮静化せず、富士宮市議会では1980年末から、関係者の証人喚問、強制調査、さらには証言拒否や偽証には禁錮や罰金刑を科せる「百条委員会」の設置に向けた動きが始まった。
議会には山崎氏の証人喚問、池田氏に与えていた名誉市民称号の取り消しを求める声も噴出。
窮地に陥った学会は、再び後藤組を頼った。
「この間(80年)、山崎は学会 を破門(除名)になって失脚するんだけど、山崎が作った俺とのパイプは生きていて、今度は地元の公明党の連中を通じて(百条委員会を)「何とかして欲しい」という相談があったんだ。それで(百条委員会設置)賛成派の連中に“話”をしたわけだ」
なお、当初は学会と後藤組の仲介役として山崎氏が動いていたが、同氏が失脚して以降も「地元の公明党の連中を通じて」「相談」があったという。このことから、ヤクザを利用したという罪を山崎氏個人に着せることはできない。
② 80年代
百条委問題直後、創価学会と後藤氏の縁はいったん切れる。
しかし、学会が黙殺したうえ、83年6月に突然、富土宮署に「後藤組潰滅対策本部」が設置されたことから、後藤氏はこれを学会の差し金と見て激怒。
後藤氏
「これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で"パン"って音がするんだから(笑)。 それで慌てて、俺ん ところに池田の使いが飛んできて、詫びを入れてきたんだ」
「これには池田もビビッただろうな。そりゃそうだわ、行く先々で"パン"って音がするんだから(笑)。 それで慌てて、俺ん ところに池田の使いが飛んできて、詫びを入れてきたんだ」
これがキッカケで、創価学会と後藤氏は再び協力関係となり、新たな窓口は、後藤氏のもとへ謝罪に訪れた前述の“池田の使い”となる。
『憚りながら』では注釈として、後藤氏が「X」の正体を一切語ろうとしないとしたうえで、これまでの報道などから、この人物が池田氏の側近中の側近と言われた
③ 90年代
そして密会ビデオ事件、99年の公明 &自民連立政権時代へと続く。
反学会の評論家であった藤原弘達氏の1969年の著書『創価学会を斬る』及び他の創価学会批判本にまつわる「言論出版妨害事件」についての世論の批判を受け、創価学会会長の池田太作氏が謝罪した70年頃、田中角栄氏によって、前述藤原著作によっても、この公明擦り寄りによる連立は予言されていた。
密会ビデオ事件:
95年12月頃、藤井富雄氏と後藤氏が映った"密会ビデオ"の存在が政界で噂され、これを材料に、与党の自民党が96年、住宅金融専門会社の不良債権処理のために6850億円の公的資金の投入を審議した“住専国会”で新進党を切り崩した事件。『月刊現代』2004年2月号
「脅かされているので妥協したいということなのですか?」
平野の問いに権藤が答えた。
「ことは暴力団がからんだ問題だ。学会も気にしているから放っておけない。このままだと公明系(の新進党議員)がもたなくなるので、何かいい知恵はないだろうか」
平野の問いに権藤が答えた。
「ことは暴力団がからんだ問題だ。学会も気にしているから放っておけない。このままだと公明系(の新進党議員)がもたなくなるので、何かいい知恵はないだろうか」
平野は権藤と2人で党首の小沢に報告に行った。小沢は、
「学会が困っているんだから、話し合いをしてやれよ」
と、権藤・野中ラインでの交渉開始を了承したが、
「条件が2つある。1つは予算を修正すること。もう1つは自民党にも経済構造改革の必要性を分かっている人がいるから、住専問題を機会に改革のきっかけを作ることだ」
と釘を刺した。住専予算をめぐる権藤・野中の水面下の交渉はこうしてはじまった。平野の回想。
「交渉結果は逐一、権藤さんから報告を受けました。向こう側には野中さんだけでなく(参院自民党幹事長の)村上正邦さんや亀井静香さんもいて、問題を表に出したくなければ住専で妥協しろと言ってきた。でも、小沢党首は予 算案から(6千850億円の)数字を削れと言って譲らない。間に入った権藤さんは学会からもいろいろ言われるから困ってね。そうこうするうちクリントン大統領の来日が迫ってきた。それまでに予算案を衆院通過させなきゃいけないというので、事態はかなり切迫してきたんです」
「学会が困っているんだから、話し合いをしてやれよ」
と、権藤・野中ラインでの交渉開始を了承したが、
「条件が2つある。1つは予算を修正すること。もう1つは自民党にも経済構造改革の必要性を分かっている人がいるから、住専問題を機会に改革のきっかけを作ることだ」
と釘を刺した。住専予算をめぐる権藤・野中の水面下の交渉はこうしてはじまった。平野の回想。
「交渉結果は逐一、権藤さんから報告を受けました。向こう側には野中さんだけでなく(参院自民党幹事長の)村上正邦さんや亀井静香さんもいて、問題を表に出したくなければ住専で妥協しろと言ってきた。でも、小沢党首は予 算案から(6千850億円の)数字を削れと言って譲らない。間に入った権藤さんは学会からもいろいろ言われるから困ってね。そうこうするうちクリントン大統領の来日が迫ってきた。それまでに予算案を衆院通過させなきゃいけないというので、事態はかなり切迫してきたんです」
(抜粋ここまで)
反創価学会の野中氏は『老兵は死なず 野中広務全回顧録』で、公明党との連立について、学会が届け出ている資産リストと、聖教グラフに載っている絵画を照らし合わせて、届け出のない絵がいろいろあることを調べあげるなど、叩きに叩いたら擦り寄ってきたのだとする。
また野中氏と亀井氏は、学会の学生部幹部数名が共産党の宮本顕治・議長を盗聴していたこと、公明党は選挙のたびに学会施設を使っていることなどを、追及。
このとき学会は、またもヤクザに頼んで、亀井静香を襲撃しようと画策したのだと。
前述『月刊現代』より抜粋
当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」
当時、自民党の組織広報本部長として反学会キャンペーンの先頭に立っていた亀井が「命を狙われている」という噂が流れた。まもなくその噂を裏付けるように亀井付きのSPが増員され、亀井の車はつねに警視庁の警備車両2台にはさまれて移動する騒ぎになった。村上正邦の元側近が語る。
「騒ぎの発端は、藤井さんと後藤組長の密会ビデオでした。亀井さんが入手したそのビデオのなかで、藤井さんは反学会活動をしている亀井さんら4人の名前を挙げ『この人たちはためにならない』という意味のことを言ったというんです。受け取りようでは後藤組長に4人への襲撃を依頼したという意味にもとれる。それで亀井さんと村上、警察関係者、弁護士、私も加わって対策会議が開かれたんです」