お忘れかもしれんので、公明がいかに汚い組織かを忘備録として示す。 その1
公表されていることばかりだが、公明の汚さを思い返してもらい、岸和田市中核市構想で維新と猿芝居を画策するのは、さもありなんと、その下地から理解してもらうために書いておく。
ならば、そのブーメランをお返ししてみたい。
99年からの自公連携がなぜ始まったか
1.自民による公明攻撃に負けた公明
この佐藤・池田会談の場面は、『佐藤栄作日記』にあ る。
「池田氏との3時間の会談」と言えば、安倍ちゃんも2006年9月のポンポン痛いから投げ出ちゃった内閣の際、自民総裁選と首相就任の1週間ほどの間に、池田氏と3時間に渡ってメモを取りつつ会談し、それが新聞各社に報道されても、国会では否定したっけ。
自民を割って出た小沢一郎氏が公明とくっついており、自民が野党だったからだ。
当時、その仲介をしていたのが、野中広務氏だ。
今、野中氏の役割を果たしているのは、菅義偉氏だ。
菅氏も90年代なかばには、同様に激しい学会批判をしていた。
その背景はこうだ。
1987年、横浜市会議員選挙に西区選挙区から出馬し、初当選を果たし、その後市議を2期務めた菅氏は、小此木彦三郎(自民)衆議員秘書の経歴を活かし、小此木氏の事実上の代役として、高秀秀信・市長の指南役として、「影の横浜市長」と呼ばれた。
2期の市議経験後、1996年の第41回衆議院議員総選挙に神奈川2区から自民党公認で出馬した彼の政敵は、新進党公認・公 明推薦の上田晃弘氏、旧民主党公認の新人、大出彰氏であったが、彼らを破って、初当選している。
祝勝会でも菅氏は、「自分が戦ったのは政党ではなく宗教団体だった、政教一致はけしからん!」と言ったそうだ。