たかひら正明と見つめる岸和田

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映画グリーンブック 死ぬまでに一度ぐらいは勇気を示したい・・・

基本的に洋画しか見ない。
それは頭をカラにして楽しめるか、胸に突き刺さる作品を好んで見るからで、前者ではハリウッド作品のように邦画は制作費をかけられないので、迫力に欠け、
後者ではストーリーが複雑であったり、社会に一石を投じる作品、特に実話であればなおのこと敬遠されるからだ。

 

米映画でも現在の黒人差別を指摘するような作品は、大きな興行収入は見込めない。
事件後には全米規模で抗議集会が開かれ、一部では暴動になるなど大きな騒動に発展した事件=2009年1月1日に起こった黒人青年射殺事件(参照:後述AFPニュース)を題材とした『フルートベール駅で』(2013年)を、
同年公開され、第86回アカデミー賞の作品賞をはじめ、様々な映画賞を受賞した『それでも夜は明ける』(1841年、自由黒人が騙されて人身売買され、12年間の奴隷生活を強いられた後、何とかその立場が証明され、開放される実話)と比して、
俳優のサミュエル=L=ジャクソンは「『それでも夜は明ける』こそ、アメリカの映画界が人種差別に真摯に向き合おうとしていないことを証明している。
(その根拠として)もし、アフリカ系アメリカ人の監督が本作を監督したいといっても、アメリカの負の歴史を描くことにスタジオが難色を示すであろう。
過去の奴隷の解放を描いた本作よりも、現代における理不尽な黒人殺害事件を描いた『フルートベール駅で』を作ることの方が勇気のいることだ」とも述べているとおり(同作のウィキより)。

 

米地下鉄駅で白人警官が黒人男性を射殺、容疑者を殺人で逮捕 AFPニュース
2009年1月15日 15:00 発信地:サンフランシスコ
http://www.afpbb.com/articles/-/2558377?pid=368677

 

170年前の黒人が奴隷として扱われる中、奇跡的に自由黒人が助かってよかったねという
白人社会が免罪される映画は賞レースで勝ち残り、
21世紀に、衆人環視の状況で警官に射殺された、オスカー=グラント3世の映画は、大きな賞にノミネートすらされなかった。

 

これがアメリカの黒人差別が潜在的に残る状況だ。

 

そして今回、2世紀前の話でなく、約60年前の南部諸州で、主に黒人の一般公共施設の利用を禁止制限した人種差別的法律=ジム・クロウ法(1876~1964年)が存在した時代の映画が、第91回アカデミー賞で作品賞など三冠に輝いた。

 

実話を基にしたオスカー受賞作『グリーンブック』名エピソードがありすぎて困るほどだった!  @cinematoday
2019年3月1日 17時37分 (編集部・市川遥)
https://www.cinematoday.jp/news/N0107206
より抜粋
 本作は、人種差別が残る1962年のアメリカ南部でのコンサートツアーを計画した黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と、用心棒兼運転手として彼に雇われたイタリア系のトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)の実話を基にしたロードムービー。学があって洗練されたドクターと粗野で無教養のトニーという正反対の二人が、旅を通じて心を通わせていくさまに笑って泣いて、心が温かくなる作品だ。

 

生涯続いた彼らの友情の始まりの物語を映画にしようと決めたのは、トニーの実の息子であるニック・ヴァレロンガだ。ニックは将来的な映画化を目指して父はもちろん、家族ぐるみの友人だったドクター・シャーリーにもインタビューを行っており、録音テープやメモ、劇中で重要な役割を果たすトニーから妻への何通もの手紙など参考資料は膨大な数に上ったため、ニックらと共に脚本を執筆したファレリー監督はうれしい悲鳴を上げることになった。

 

 「実際の旅は1年にわたるものだったから、選べるエピソードは大量にあった。僕たちが本作で描いたのは10月からクリスマスイブまでで、それが彼らの旅の最初のパートだったんだが、エピソードに関しては1年分の中から選んでいったんだ。脚本を書き始める前にどのエピソードを取り上げるか、正しい順番にするにはどうすればいいかということを精査しなくてはいけなかった」とファレリー監督。残念ながら本編には入れられなかった良いエピソードも「それはもうたくさんある!」といい、二人が暗殺されたジョン・F・ケネディ大統領の葬儀に行くエピソードもそのうちの一つだと明かした。

 

 監督にとって特に重要なのは、トニーがドクターに会う少し前、家に来た黒人作業員たちが使ったグラスを捨てるシーンだという。「トニーは人種差別主義者だと示すシーンだ。このシーンがなければ、何の意味もない映画になったと思う。このシーンから始めるのはつらかったけどね」。そして、盲目的に黒人に対して偏見を抱いていたトニーの目は、ドクターとの旅を通して開かれることになる。初めてドクターの演奏を聴いた時、彼の運転手であることを本当に誇らしげにするトニーの姿には思わず頬が緩んでしまう。「それは手紙から取ったんだ。何てすごいんだとドクターの演奏に魅了されたと書いてあった。トニーはドクターのすごさを完璧に理解していたんだ」。

 

 大食漢のトニーに成り切ったヴィゴは劇中、ホットドッグやピザやらを面白いほどむしゃむしゃ食べ続ける。ファレリー監督は「彼はこの映画のために20キロ増量したんだ。撮影前に11キロ、そして撮影中にもう9キロさ(笑)。彼はノンストップで食べていたよ」と明かす。

 

一方、ドクター・シャーリー役のマハーシャラはピアニストの振る舞いを時間をかけて学び、実際にドクターのユニークな音をよみがえらせたのは、29歳のアメリカ人ピアニスト・作曲家のクリス・バワーズだ。「マハーシャラはピアノに完全に慣れ、曲はクリスが素晴らしく弾いてくれた。そして最終的に、二人の顔を置き替えたんだ。複雑な作業だったけれど、上手くいったと思っているよ」。

 

 これまで『メリーに首ったけ』や『ジム・キャリーはMr.ダマー』などおバカコメディーを手掛けてきたファレリー監督は、本作ではドラマとコメディーの絶妙なバランスを取ることに成功している。「この映画は、僕の他の映画とは違ったトーンになるということはわかっていた。軽すぎるようなものにはしたくなくて、全てのコメディーはドラマの中から自然に生じるようにしなくてはいけなかった。俳優たちは本当に素晴らしかった。彼らの演技がおかしさを生んでいるんだよ」とヴィゴとマハーシャラを称賛し、「現在と共鳴する映画を作りたかったんだ。なぜなら今は分断の時代だから」と正反対の二人の友情物語に込めた思いを明かした。

(抜粋ここまで)

 

 

ドクターは、北部では南部を回るよりも3倍のギャラを手にできた。

なのに、なぜ南部を1年間もかけて回り続けたのか?

 

ここからネタバレとなるが、これだけは書いておきたい。

 

 

 

 

 

 

「勇気を示すため」

これこそ、私の胸を激しく撃ち抜いた。

 

私は、そのような勇気を示せたことが、この51年間で一度でもあったろうか?

無論、自分の中での勇気を奮ったことはある。

だが、それは勇気を対外的に「示す」ことになったか?

 

YOUTUBEが既に700万回も再生され、多くの反響を電話や対面などでもいただく。

「元気づけられた」、「これを励みにしようと思った」との嬉しい声もある。

これが「勇気を示す」ことになっているのか、私にはわからないし、まだまだ不十分だと確信している。

 

各個人が自分が無理なくできる範囲で「勇気を示す」ことで、必ず社会は変わる。

それによって住みよい街が創られ、弱者も自己決定権を表明し、尊重される。

それを諦めてはならない。

 

そのような社会に変わったときこそ、私も「勇気を示す」ことが多少はできたと言えるのだろう。

 

 

 

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