今は政治家になっている中山太郎秘書グループも当然関与していたであろう、パチンコ献金
岸和田市は昔から春木競馬場があるなど、賭博の街であった。
もちろん、それに絡む利権の歴史もあり、それが現在も尾を引いている。
「岸和田市をギャンブルシティにしない」との考えを持つ私としても、競輪場など既存施設が博打打ちだけでなく一般の市民や観光客を楽しませる施設として再生することを願っている。
そんなファミリーで楽しむ施設に、利権はいらない。
今回は、かつての利権のおさらいとして、新聞記事から引く。
中山氏といえば、原昇市長時代、名簿を融通するなど選挙協力していた間柄であると岸和田では知られていないようだ。
中山ー自民、原ー共産と、誤った認識が広まっているが、原氏は市も便宜を図ってきた談合土建屋グループの岸工会が、中澤米太郎市長の利権だと糾弾しながらも、その残党土建屋と組んで、選挙を戦い、勝ち続けてきた。
バブリーな浪切ホールは言うに及ばず、下水道敷設などで、土建屋に市の銭を流し続けてきたのも、福祉の観点と土建屋を満足させる両方の観点からで、決して表の共産党フェイスによるものではない。
衆議院選挙で中山氏に名簿を融通し、その見返りとして、市長選挙で自民は本腰を入れた候補を出さないとの密約も行ってきた。
ここで飛び出るのが、永野孝男パパだ。
彼が深井たけとし氏を担いで、2001年市長選に飛び出させた。
そのココロは?
自分が府議に出るためだ。
1983~95年までの3期12年岸和田市議、その後2001年に府議辞職するまで、勝ち続けてきた深井氏の尾生町と孝男パパの三田町は近い。
同じ小倉でチャンチャンバラバラやった2017年市長選の信貴VS耕平で、三田町でも悪評を買い、永野後援会どころか岸和田維新の組織自体が、遠藤敬・衆議員が長堀からテコ入れを申し付けられるほどガタガタの壊滅状態になったように、近くで票を食い合えば自分の流す血も大量になる。
その後、自民推薦を受け3度目の正直まで府議当選しなかった孝男パパの選挙の弱さからすれば、深井氏の手下となって、実をとる方を選択する程度には頭が回ったであろう。
かくしてケツをかかれた深井氏は勝ち目の薄い市長選挙に押し出され、孝男パパはまんまと深井後援会を乗っ取ることに成功する。
それでも当選は遠かったんだけどねぇ。
これも前回書いた「人食いアメーバ」の源流の一つとしておく。
そのような維新登場前からの自共連合が岸和田市政の歴史であり、だからこそ議会でも自民・共産・公明は常に市長奴隷として一致した賛成マシーンの役割を果たしてきた。
「市長提案に何でも賛成してきたわけではない」と、共産は言うかも知れぬ。
しかし、そのように反対した証拠はない。
反対討論をしたから採決でも反対したとは言えないからだ。
議決での賛否が記録・公表されるようになったのは2017年12月議会からで、それまでは各議員の賛否は暗闇の中だった。
この公表も、私がしつこく要求し続けたので、議員も重い腰を上げて実施に至ったもの。
議会の自主的な行為ではない。
明らかにされて困る自民6・共産5・公明6(17/26議席)が多数派をとる岸和田市議会において、議会の様子はできるだけ公開しないことのほうが得策だからね。
12月議会でも
台風21号で破壊された春木体育館を廃止するとか、
放置自転車の引取料金を自転車2000→3000円、原チャリ3000→5000円、自動二輪車4000→7000円に値上げする話は、総務委員会ですらペーパーにあるだけで議論すらされず、いつもどおり昼前に終了し、議員もそんなお知らせをしない。
こんな議員にとって都合の悪い市政情報の公開は、遅筆の私に全て委ねられているのが、現状だ。
以下に示す1989年に発覚したパチンコ献金。
受取先に中山太郎氏の名前がある。
この時、秘書は当然暗躍している。
ターチこと日田孝志・大澤町土砂崩れで人を殺し、土建の脱税でお馴染み、「山口組本家を建てたん俺やで!」なヤノコーポレーション専務・競輪利権の警備会社タイガー役員、
公設第1秘書は京西且哲氏。
岡林憲二氏、大松政司・元市議など岸和田市政に関わる人や、
馬場伸幸(維新)衆議員も秘書だった。
京西語録を借りれば「俺の票は汚いで!」となるのだが、そんな事は言われるまでもなく、どいつもこいつも銭に汚いとの腐臭が染み付いている。
それこそがターチ語録「汚れ仕事をやってきた」と自負する中山太郎秘書軍団なのである。
選挙も近くなった。
そろそろヤノ利権最大の稼ぎ口である競輪場など博打関連のことも書いていこうと思う。
連載が終わるのが早いか、ヤノに消されるのが早いか、このチキンレースも谷底に落ちながらでもアクセルふかして「不正ハンター たかひら」としての使命をまっとうするでよ。