たかひら正明と見つめる岸和田

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嘘つきには反証を! 京西且哲議長様、私は狐と狸の化かし合いはゴメンです。

いくら政治家や秘書の経験がない私でも、政治の世界が狐と狸の化かし合いな部分があることは承知している。

 

一般社会でも取引や交渉の現場で、本心を隠して交渉することもあるし、市民運動の世界でも権力に対しての態度で、そんな場面がある。

 

しかし、政治は情であり、敵対する政治勢力間でも信頼関係なしに対話はありえないことも学んでいるつもりだ。

 

そのようにして私は政治的考えの異なる自民や維新だけでなく、右翼、日本会議などとも対話を重ねてきた。
先般も、貝塚の市議と「ここままではどちらの市も高齢化などで立ち行かなくなる。 広域行政を更に進めた話もしていかなければならないのではないか?」と話を振られ、「岸和田市貝塚市の合併には反対する。 
しかし、施設維持管理の面で、統合する必要について、市民理解が得られるとの条件付きであれば、緩やかな連携として、ガチガチでなく共有財産のような形で両氏の施設や制度連携を行えばどうか? 
ついては、先ず両市議会で話し合い、岸貝合同の議会のコンセンサスを形作り、それをもって両市長に対して、制度化の調印を推すような、議会としてのまとまった考えを表明することが必要だ。
だからこそ私は、以前から議員間での自由討議を提唱している」と話し、
胴を取る議員についても、「岸和田では誰も議員が動かんので、たかひらさんがやってよ」といった話をしている。

 

自由討議については、2018年、早稲田大学にて、全国地方議会サミットが行われ、会津若松市の先進事例を、貝塚市でも公明市議団が報告している。

 
このような話し合いができるのも、信頼関係がベースにあるからだ。
ちなみにこの議員の所属政党は、私が日頃から「廃党させる!」と正面切って宣言している政党である。
そうであっても政策に関しては、是々非々で向い、協議・熟議するのが私のスタンスであり、この点を他市議会の政党所属議員も認めてくれているからこそ、このような話をしてくれるのだろう。

 

 

そんな周囲からも「往生しまっせ」と言われる始末な岸和田市議会で、その狸ぶりや票と自身の汚さから出自の中山太郎秘書や、自民党自体からも絶縁されている議員がいる。表題の京西且哲議長様である。

 

「この俺の票は汚いで」とカミングアウトする彼の政治出自はこうだ。
土建屋から出向して、嘉陽宗輝氏(嘉陽組 組長 1998年死去 山口組と一和会の抗争時に、山口組本家の直参であった)の弟である嘉陽勤(自民)堺市議の選挙事務所へと出向し、当選後はそのまま秘書に。

 

そのあたりの詳しい年表はコチラ↓
談合から湧き出て、談合を渡り歩く、ド汚い票を自認する京西且哲・市議。 http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/455353248.html

 

 

 

中山太郎氏が、1986年選挙で参議院から衆議院へと鞍替え準備に入った1985年、中山事務所入りし、公設第1秘書へと成り上がる。

 

政治家よりも秘書の方が旨味があるのは、政界では常識であり、それは道の池付近に住む馬場伸幸(維新)衆議員秘書で、京西氏とも“水道工事と自死に追い込むイジメはお任せ”がキャッチフレーズで、岸和田市役所を懲戒免職となるも、妻名義の開発業者として塔原線沿いに大きな看板の事務所を構える京西支援者=M氏を通じても関係のある辻氏もご存知のはず。

 

そう言えば、馬場君は京西氏とは中山秘書で同窓でしたね。
自民を裏切った馬場君でも参加できている中山秘書OB会に、京西氏が参加できなくなったのは、2007年岸和田市議初出馬での出来事から。

 

中山オヤジの後援会名簿を自身の名簿にしようとパクったことを、日田孝志・ヤノコーポレーション専務に見つけられ、包帯グルグル巻の刑に処せられた挙げ句、永野孝男パパの府議出陣式でも胸ぐらをつかまれどやしつけられた。

 

怒りのターチには、駅前保育園を、中山秘書として追放される前に口利き設立してあげた恩返しで、初回の選挙に出させてくれた、橘建設もお手上げだったようですね。

 

こうして「汚い票」で市議当選した京西氏は、「事件」との言葉に敏感になる。
周囲も警察沙汰になれば、自身にも司直の手が・・・もしくは票数が・・・・との心配があったのは想像に難くない。

 

そして、2015年には、京西後援会の重鎮として重用し続けた上田末男氏が、脅迫事件でマスコミ報道されると、京西氏自身もその脅迫現場に同席していたことが公になると困ると思ったのだろう、アッサリ首を切った。
その御蔭で人ぐりにも苦労するようになり、恒例だったグランドホールでの新年会も鳴りを潜めた。

 

4月9日、私が「市政報告会」との幟を見つけて偶然入った事務所が、京西選挙事務所であったことから、彼と話をした。
「自民から絶縁されている」「ターチとは2017年11月の西田市長選挙以来会っていない」と言ったが、それは嘘だ。

 

私は、それを無下に否定はしなかった。
だが、それを横で壁に貼った地図を見ながら聞いていたであろう年配のオジサンらは、「こいつ(京西)何を言うてんねん? タカヒラにバレてないとでも思うとんのか? メデタいやっちゃなぁ・・・」
とでも思われていたのではないか?
オジサンらが私に一瞥もくれなかったのも、彼らが私とわかっていた事以上に、その目を見られて、自らの生き様を見透かされることが恐ろしかったのかもしれない。
そんなオジサンらには安心しといてもらおう。
私にはテレパシーなどないよと。

 

嘘は一つつけば、その嘘をごまかすため、嘘の連鎖を繰り返さなければならなくなる。

 

これは2018年8月26日。
中山市の誕生日会を兼ねてリーガロイヤルホテル皇家龍鳳に集った中山秘書OBの面々。
左に座っているのは京西氏、その斜め後ろに立っているのはターチではないのかね?
それとも、そっくりさんか?

 

 

ここへ久々に京西氏が参加できたのも、2017年11月のヤノ傀儡な西田市長選挙で汗を流した功績を認められてのことじゃないのかな?

 

百条委員会後、ターチはまた元の裏稼業へと戻ろうとしているようだ。
しかし、一度陽の光があたれば、闇は闇でなくなる。
フィクサーになりそこねたターチを浮かび上がらせる写真もオマケにつけておこうか。

 

2018年11月18日、左からターチ、自民岸和田支部会計の佐野英利・小松里郵便局長、中山氏、嘉陽組の流れをくむ堺市海山町の隆栄建設代表=嘉陽利明氏、淀屋橋の不動産屋、流通企業ボンボンの三輪秀行氏。

 

私は犯罪政治家一族=永野家に関わる人々から「私は永野とは関係がない。ブログの記事を消去してくれ」と言われることもある。
それでも一定関係性が外形上などからわかれば、それを消すことはない。
掲載が別のネタを運んでくることがあるからだ。

 

今回のこの写真も、京西氏やターチと関わると登場人物化するということにしておく。

 

的外れに「個人情報だ」などと言う輩がいるので、先に書いておくと、京西氏やターチに関わる事以外については、ネット上で公開されている情報であり、それを転載したに過ぎない。

 

大写真の方で、全員に矢印を付けて「○○氏 △△代表」などと書き込むほど、画像編集力が私にないことについて、中山会OB一同は胸をなでおろしてほしいね。

 

それでは皆さん、しょうもないことに嘘をつかんように。

 

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