たかひら正明と見つめる岸和田

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だんぢり有料観覧席のネコババトンズラで、年番に税務調査

これまでも有料観覧席での払い戻しをせず、トンズラしている問題については、相談者に対しては「被害者の会を立ち上げて、集団訴訟すべきです。 被告は大阪文庫と年番で!」と鼓舞し、ブログでも様々な情報を書いてきた。

 

カンカン場でのだんぢり有料観覧席で、騙されて銭を取られた皆様へ http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/462851150.html

 

だんぢり観覧席トンズラ問題で、年番がついに謝罪会見! http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/463273750.html

 

今ココ↓
だんぢり有料観覧席払い戻さずトンズラな年番に、“道義的責任”ではなく胴元だと教えましょう
http://mitumerukisiwada.seesaa.net/article/463480656.html

 

 

 

これまでの私の追求によって、明らかになったこと。
1.「一般社団岸和田三郷年番」としての法人登記簿で、役員等を公開

 

 

2.2018年度の村上信行・年番長(本町)が炙り出されて、だんじり会館で記者会見。
新聞報道では、「2013年度から(岸和田地車祭礼年番から大阪文庫への)業務委託契約」、「協賛金1300万円」、「実務を担う各種団体に配分した」などと、はくじょうぜざるを得なかった末に吐いた言葉が並ぶ。

 

 

3.大阪文庫が毎年設計会社を変えて(不払いで逃げられて?)、その結果観覧席の形状も変わり、建築確認を出すのが遅れに遅れ、日下敬三・建設指導課長が血眼になって田中茂光社長に「早く確認申請してくれ」と、毎年毎年何十回電話をかけ続けていた。

 

 

4.年番は、大阪文庫の事業として関係ないと強弁するも、
・数年前、大阪文庫から足場建設依頼を受けた業者から未払いで年番が訴えられている
・場所についてでもカンカン、生協の地主である竹中工務店のグループ企業 (TAKプロパティ、管理はアサヒ ファシリティズ) とも「年番に貸した」としており、生協は「竹中から借りる際に、地域行事に供料するよう条件がある」と説明している。
つまり、どこを切り取っても「年番が胴元」との切り口しか見えてこない。

 

 

5.大阪文庫=和泉興信所の探偵として、私に「1300万円を年番に払い続けたので、赤字続きだった」と語っていた探偵名小田幸平氏はトンズラしたが、
今でも彼が載っていると思われる車は、
白のスズキスイフト 和泉502な8546
そしてこの車を乗りこなす「くすのきじゅんじ」氏は、探偵名小田氏の本名だろう。

 

 

 

そして、
「音信不通となった小田氏からのメッセージもお待ちしたい」とも書いたのだが、最近、小田氏は携帯も解約している。
彼の名刺に刷られた080-0080-1777は、彼へのインタビュー後、11月頃まで着信があったりもしていた。
入れ違いで取れず、掛け直してもかからぬ中、最近、久しぶりに着信があったので、かけ直してみると、中百舌鳥や泉北などで新古車を販売する軽の森のフリーダイヤルに変わっていた。

 

 

 

関係者がどいつもこいつもトンズラする中で、新情報が入ったので、お知らせする。
こんなことは年番から発表すべきことだが、トンズラ年番は、表に出てこれないのだろう。

 

 

無論、私には相当怒っているとの情報も入っているが、そう怒っているならば、その怒りを全て受け止めるので、帳簿を持って、浪切大ホールで公開質問を受ければよろしい。

 

 

私に金銭事情を公開されて怒る前に、被害者救済を先にせんかえ!
その後、吊し上げでも何でもしてくれたらヨロシ。
全て受けて立ちますんで、その時になれば、いつでも呼んでくださいな。

 

 

 

さて、村上年番長は格好良く1300万円×4年間について自白したのだが、弁護士もついているのに、何を言えばどんな波及効果になるのか想定しなかったんかね?
弁護士はその資格を取れば、自動的に税理士資格が付いている。
但し、弁護士試験で租税法は、以前の行政法と同じく選択科目であるので、その辺りの知識や実務がすっぽりと抜け落ちておったのかも知れぬ。

 

 

これが悲劇を生む。
年番に税務調査が入ったのだ。

 

 

周辺事情を訊いていくと、どうも税務署は祭礼関係の税務にかねてから興味を持っておったようだ。
それは、2005年の岸和田市観光振興協会への税務調査が初端に見える。
消費税の解釈違いということで、だんじり会館といよやかの郷を合わせて約1000万円の追徴課税を取られたことは、当初、かなり少額を想定していた岸和田税務署としても、中央へと成果を示す手柄となったことだろう。

 

 

これで味をしめたのかどうかは不明だが、ともかく祭礼関係団体は税務署に狙われ続けていた。
大阪文庫トンズラにしても、舌なめずりをしながら報道を見ていたのではないか?
そこに村上年番長の「1300万円」発言が飛び出し、一気呵成に食いつきに行ったとの情景が目に浮かぶ。

 

 

今から裏帳簿を作っているのかどうかについては、後に報道がなされるであろう。
だが、これも私の4月選挙のキャッチフレーズ、「銭とコネで腐りきった岸和田市政」を補完する出来事である。

 

 

更に、記者会見の話もぶり返してみる。
あの時、村上年番長はどのように大阪文庫との関係が始まったかについては言及を避けた。
「戦後74年・・・古い話は忘れた・・・」
などと言えんよ。
大阪文庫が乗り込んできたのが2015年、
岸和田市が観覧席を発案したのも、1997年と終わりゆく平成の中盤9年の話だからね。

 

 

2013年に1年間だけ商工会議所青年部がやった時、年番への支払額は、仮設トイレの設置、年番の倉庫の賃料など現物支給込みで、500万円だった。

 

 

その前に商工会議所本体がやっていた時は、ショバ代を浮かせるために、北町ゴルフ場側では、テキ屋からショバ代を取った。
テキ屋は、それが上乗せされた価格で、関東炊きなどを販売していたので、他のテキ屋よりも値付けが高額であった。

 

 

それでも観覧席は、本宮の最も高額な席でも7千円が最高額であり、それは当初、1300万円を提示する大阪文庫へも承継されたが、近年、1万円へと値上げがなされている。

 

 

では、その大阪文庫に取って代わったのは・・・・

 

 

1982年9月22日、三越の取締役会での、ワンマン経営者、岡田茂社長の解任劇が起きた時の岡田氏のセリフとして流行語にもなった言葉を使ってみようか。

 

 

「なぜだ?」

 

 

このカラクリは、聞き込みを続けるうちに情報が入った。
大阪文庫参入時に年番役員をやっていた者は誰か?との切り口から。

 

 

2014年、平成26年度岸和田だんぢり祭りでの年番役員は正副の二人であった。
そのうちに一人が猛烈に臭う。
翌2015年に年番長となる春木南の藤江浩二氏だ。

 

 

彼は大阪文庫=和泉興信所の田中茂光社長と、入魂の仲であったというのだ。
副年番長として発言力の強いタイミングで、藤江氏は田中社長をねじ込んできたのではないのか?

 

 

商工会議所青年部は、「今年、上手くいったので、翌年は、北町ゴルフも貸してくれると言うてますし、よろしくお願いします」と、祭礼終了後に年番と話をし、年番も了解している。
ところが、年度が変わると、年番は約束を違え、青年部の申し出を断るのだ。

 

 

ここでも藤江氏の副年番就任とタイミングは合う。

 

 

建設関係の仕事をしている藤江氏は、談合なども見てきているはずで、その経験が活かされたとの見立てでも合致する。

 

 

このようにどこを切っても、藤江氏は臭うのだ。

 

 

ではなぜ大阪文庫参入事情について、村上年番長は言及しなかったか?

 

 

その理由が以下で示す事情にあるならば、これも岸和田でよく聞く話として、読者も納得されるだろう。

 

 

私が話を訊いた情報源は皆、口を揃えて言った。
「たかひらさん、春木やのに、藤江知らんの?」
「知りません」
藤江3兄弟って、あなたぐらいの年代なら知っていると思うんだけど・・・」

 

 

昔、春木に白装束に長ドスの“藤江3兄弟”というヤクザの兄弟がいたのだと。
菅原文太川地民夫の両氏がスクリーンに踊る『まむしの兄弟』より怖そうな面々である。

 

 

そして説明は続く。
その息子も、当然、同姓であるということを・・・・

 

 

 

 

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