春木中学のレンガ壁を残せ! 1mでも長く!
春木中学のレンガ壁が、耐震性がないとの原因から撤去されようとしています。
岸和田レンガ綿業工場の歴史を刻んできた壁。
既に南側は撤去されてしまいました。
OBの地域の人も残してほしいとの要望で、
教委や郷土資料室が知恵を絞って、
正門付近を主体に少しでも残せるように、裏側に壁を新設して、そこに抱かせる形で耐震性を保ち、レンガ壁を残そうと努力しています。
岸和田レンガ綿業は、キリスト教的精神で、当時の紡績工場のレベルよりも労働者を大切にしていました。
レンガには、キリスト教精神の十字が刻まれています。
雇用を守るために機械化を遅らせた経営者の気持ちは、労働争議の数が近隣紡績工場であったキシボウよりも少ない形となって示されています。
その頃については、永野耕平(維新)市長や恥知らずにも市長を2度滑って、再度市議に出ると挨拶回りをする西田武史・元市議が「賑わい」の代名詞とする、五軒屋の賑わいが思い浮かびます。
ですが、この人出は、女工哀史やあぁ野麦峠として、貧農地帯であった東北などから売られてきた少女たちや、出稼ぎせざるを得なかった朝鮮人労働者たちではなかったか?
このような口からデマカセを公約として言うような人が、議員などできるはずがありませんね。